●今までに日本画と自分の作品との関係性について意識したことがありますか?
1.はい
1に該当した方。具体的にどのように意識しましたか?あるいはしていますか?
外に向かえばおのずと意識させられた。つまり「日本画をやっています」と答えねばならない状況というのはけっこうあった。私の師匠はこの画材だから、この技法だから、日本画だから→「こうしなさい」という指示をしない人だったので、たまたま画材が自分に合うものらしいと思ったから、表現にどうつかおうと思っただけで、自分としては素材・画材が特有のものだから「日本画」と言われることには納得です。乱暴だなとは思うが。しかし、これを描いてるから日本画、描いてないから日本画でないというのはもっと乱暴だと思う。ちなみに日本画ではないと言われます。
●自分の作品はしいていうなら何と呼ばれるのが望ましいですか?
あるいはどの様な位置付けで見られる事が望ましいですか?
風俗画とかポーズ画とか。「絵画」ととっていただけると一番ありがたい。
●現在の様な作風に変化したのはいつ、どの様な事がきっかけですか?
思い当たる事があればお答え願います。
画材が自分に合っているらしいことはわかっていたが、どう何をもって放出したらよいかがわからなかった。一番自分自身が執着しているのが人なのだと思い込んでからは、あとはやりたいようにまっしぐら。大迷走か。楽しいことはもうないが「こう描かねば」というのがなくなってからは、うれしいことはたまにあるようになった。表現最優先は大学3年の時でしょうかね。
●膠を使う方。濃度は何%ですか?あるいは水に対して何膠をどのくらいいれますか? 又、ドーサの濃度はどのくらいですか?
水200ccに三千本を一本。 ドーサは水1Lに三千本一本、明バンを金さじ山盛り一杯。
●日本画の画材に対する自分なりのこだわりなどはありますか?
岩絵具は大変プリミティブで力強く魅力的で、多くの絵描きがそうであるように私もその力にひかれたのだが、美しくすばらしい岩絵具ほどあつかいは難しい。その力をあやつれば、勝手に画面でしゃべり出す。「キレイな緑青」で存在されては困るので、まだ自分に器量のない今「総岩仕上げ」は危険かと思っている。しかし実現するならそれほど強い作品はないと思う。あと、青墨より茶墨の方が生物には向いているような気がする。
●あなたにとって日本画とは何ですか?
「日本画」→近世以前のものを指す。血が逆流する程の衝撃をうけたものは現代のものにはありません。近世以前のものとは別物で制約も多かったはずだが、こう見せたいがために勝手に嘘を描く。しかし嘘には見えない。完全にしてやられているわけです。どこかにつれさられていくのが感動というものです。あの不自由な中で、実はメチャクチャしていたのが日本画でしょうか。




SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送